気まぐれ日記 2016年3月

2016年2月はここ

3月1日(火)「五十肩の次は不眠症?・・・の風さん」
 左の五十肩がなかなか治らないので、入院中もよく看護師とその話をした。退院時に私担当のベテラン看護師から「腱が切れていないか早く確認した方がいいですよ」と言われて、やはり心配だったので、午前中にかかりつけの外科医に行った。
 医師いわく「腱板断裂(けんばんだんれつ)していることがある」とのこと。レントゲンでは骨に異常はなく、夕方予約してMRIを撮りに行くことになった。帰る前にリハビリ部門で電気マッサージをされて、気分も良かったので、帰りは山道をジェームズボンド走りした。所要時間約13分で帰宅したので、ワイフが仰天していた。
 昼食に昨夜の残りのカレーうどんを温めて食べ(量はコントロールした)、少し仕事をしてから、再び外出した。
 今日は朝からナビが全く動作せず、とうとうお陀仏かと思っていたが、途中3ヶ所で用事を済ませ、病院に着いてから、ナビ本体が死んでいることをある方法で確かめたところ、奇妙にもナビが復活した。
 MRIは平成24年にも経験していて、相変わらず騒々しい機械だった。
 計測後、診察を受けた。幸い鍵盤断裂ではなく、五十肩のようだった。リハビリで治していきましょう、ということになった。薬の服用もなし。本格リハビリは、来週から始まる。
 安心して帰宅したら、空腹を感じた。夕方の6時、入院中の晩御飯の時間だ。
 用意してあったお茶漬けを2杯食べた。
 今夜はこれでおしまいにしよう……と思っていたが、9時過ぎにワイフが名古屋から帰ってきて、次女の帰りが遅かったので、久しぶりにレギュラーコーヒーを淹れて飲むことにした。
 これが原因で予想もしなかったことが後で起きた。
 シャワーを浴びて、さっさとベッドに入り、電子書籍の残りを読んだ。これで今年13冊目である。
 安心して寝ようとしたのだが、目が冴えて寝れない。
 入院中、コーヒーというかカフェインを禁じられていたので、体がカフェインに敏感になってしまったらしい。

3月2日(水)「久しぶりの仕事を再開・・・の風さん」
 とうとう熟睡できないまま朝を迎えてしまった。コーヒーのカフェインでこうなったとすると、我が人生初かもしれない。
 覚醒した意識の中で検討したことがあった。ドーナツクッションの入手である。今必要というより、今後の執筆生活を考えると、予防のためにも必要ではないかと思ったのだ。それで、ネットで検索してみると、低反発タイプで安価なのがあったので、試してみることにした。例によってプライム発注したので、明日の午前中に届く。
 ついでにちょっとばかりマーケットプレイスについての知識を入れておいた。自分の物の整理には、廃棄と寄贈以外にも、こういった手段が有効かもしれない。今後の検討課題である。
 エージェントから電話があり、企画の進捗状況を聴くとともに、作品の展開について相談した。良いアイデアが浮かんだので、反映することにする。
 新組長の代わりに、ゴミ集積場の当番表などを作成した。
 昼食にまたカレーうどんを少し食べ、実に久しぶりに裏庭へ出た。小屋の段ボール箱を2つ移動させた後、雑草の移植作業の9回目に取り組んだ。少しずつやっているので、気長な作業だが、あまりゆっくりやっていると雑草が生い茂るシーズンになってしまう。病後だが、今日は2時間近く頑張ってみた。ちょっとやり過ぎだったかもしれない。
 夕食後は、これも久しぶりに確定申告の準備である。仕事量は多いので、一気にはとてもできないが、1週間の入院による中断はやや痛い。今夜からペースを上げねば、忙しくなってしまう。
 昨夜熟睡できなかったので、今夜は早めに寝ることにした。

3月3日(木)「ネバーセイ・ネバーアゲイン・・・の風さん」
 来月、初めて名古屋で、毎年のように東京ビッグサイトで見学しているものづくりの展示会が開催される。無料の講演があるので、2日分申し込んでおいた。東京と違って断然費用が少なくて済むので、2日間ゆっくり見学しようと思っている。
 予定通り、低反発ドーナツクッションが届いた。低反発枕を持っているので、同じ特性かと思ったら、だいぶ違う。このドーナツクッションは非常に硬いのだ。体重を支えるために、これだけの硬度(高い弾性率)が必要なのかもしれない。書斎の椅子の上に置いてある座布団3つをすべて外して、ドーナツクッション一つだけにした。自然と背筋が伸びるのも特徴だろう。
 愛工大の次年度の非常勤講義2つのシラバス(カリキュラムとも呼ぶ)を、前年度のシラバスと実績をベースに作成した。田村先生にお願いする講義も合わせて提案させていただいた。
 昼食後、屋外作業に取り組んだ。先ず、初めての茶箱の解体である。ネットには適切な解体法があまり出でいなかった。それでも必須の道具はマイナスドライバーらしいことは分かった。蓋の方から取り掛かってみると、古い茶箱のせいか、意外ともろく金属部分が外れていく。続いて本体。これは金属部分が箱の形でそっくり外れるらしい。やってみると、蓋と同様に、釘で固定されている場所を、次々に外すことができた。最後に、ほぼ四角い箱の形(金魚鉢のような)で取り外すことができた。所要時間は10分ちょっとだった。
 茶箱はそこまでにしておいて、雑草の移植作業の10回目に移った。1時間程度でやめるつもりが、春のような絶好の天気に気分もよく、作業がはかどった。そして、母屋側を一列に雑草を除去できたので、そこへ防草シートを張り付けることにした。法面と違って地盤が硬く、布を当てて金づちで叩く必要があった。余った防草シートを法面の一部にも張った。
 そこで、思わぬハプニング。20年ぐらい前に買った古い運動靴が、両方とも、接着してある底面が外れたのである。底面が外れた運動靴は、まるで足袋だった(足の裏に地面をまともに感じる)。
 夕食はひな祭りにふさわしくチラシ寿司で、デザートにイチゴと伊賀饅頭がついた。食べ過ぎないように気を付けた。
 今日はちょっと頑張り過ぎたので、夜、またショーン・コネリーの007を観た。「ネバーセイ・ネバーアゲイン」である。ボンドガールのキム・ベイシンガーが懐かしかった。

3月4日(金)「ダイヤモンドは永遠に・・・の風さん」
 手術から10日が経過したが、まだ普通の生活に戻れない。そのような中、今日は生産技術マネジメント研究会の最終報告会だった。主任アドバイザーの一人として、名大の小沢先生が出席されないので、何としても出席しなければならなかった。
 いつものように途中駅までキャメロンで行き、そこから電車で往復した。
 最終報告会はそれなりの出席率で、盛況だったと言える。私は第一分科会の主任アドバイザーだったが、グループ発表もきちんとできていたし、何よりも、7人の個人発表から、今回の半年間の活動成果である「意識の変化」「視野の拡大」を感じることができ、とても満足した。
 懇親会もあったが、アルコールは禁止状態だったので、ウーロン茶一杯だけを飲みながら、数人と歓談して、早々に退出した(食べ物にも手を付けず)。
 帰りに灯油を購入して8時に帰宅した。
 昨日は屋外作業もやったのだが、今日の仕事ではかなり消耗したらしい。
 夕食後、仕事をやる元気がなく、ショーン・コネリー主演の007「ダイヤモンドは永遠に」を観た。今回、集中的にショーン・コネリーの007を観たわけだが、私の創作活動の(映画という面での)原点の一つであり、思ってみなかった入院・手術の時期でもあり、それなりに意義深かったと思う。

3月5日(土)「体の節々が痛い・・・の風さん」
 朝から体中の節々が痛い。風邪をひくとよく起きる症状である。ところが、体温を測ってみると、36.6度しかない。
 五十肩は相変わらず痛いし、最近、屋外作業を復活させたので、そのせいかもしれないと思った。
 痛み止めのナロンエースを飲み、五十肩にはトクホンチールを塗り、首の痛みには磁気ネックレスをしてみた。
 しかし、まるで効果はなかった。
 今日の屋外作業はこれまでの半分にしておいた。
 無駄とは思いつつ、ロキソニンを飲んで、夕方から昼寝した。明日から出かけるので、気持ちは焦っている。
 寝て少し気分が良くなったが、まだおかしい。
 それで、今夜はもう閉店にして寝ることにした。念のため、風邪薬を飲んだ。

3月6日(日)「執念の京都行き・・・の風さん」
 早く寝たので早く目が覚めた。しかし、体調は悪いまま。とりあえずトイレに行って、またベッドに逆戻り。とにかく体の節々が痛い。
 少しでも体調を戻さないと、京都へ行けない。せっかく初めてのダイヤモンドリゾートを、しかも格安の日を予約しているのに、当日キャンセルしたら、100%負担になってしまう。しかも、明日は確定申告を予定している長男を乗せて一緒に帰宅する計画だ。
 天気予報は、名古屋も京都も、今日の午後は降水確率60%だった。それでも、行かねばならない。もう執念だった。
 こういう場合、クルマで行くのは、時間の制約がゆるいので助かる。
 ゆるゆると起き出して、普通にトーストの朝食を摂り、結局、アクアで家を出たのは11時ころだった。
 京都へは何度もクルマで出かけている。非常に近いという感覚がある。だから、ゆっくり走っても焦ることはない。
 御在所SAで休憩した。パンとコーヒーをお腹に入れるのが精一杯だった。全身の痛みは相変わらずだった。
 そこから大津SAまでワイフが運転を代わってくれた。私は助手席でぐったりしていた。もう京都は目の前だ。
 ここでも休んでいたが、クリームコロッケとコーヒーをお腹に入れるのが精一杯だった。
 3時半ころ、目的地に着いた。京都のど真ん中にある。ナイスロケーションだ。ここまで雨に降られなかったのは幸運だった。
 私はベッドに横になった。頭も重い。
 その間に、ワイフは、徒歩で下鴨神社に出かけ、参拝して御朱印ももらって帰って来た。
 7時からの夕食のために1階のレストランに行ったが、私は柔らかいものだけしか口にすることができなかった。無理すれば食べられたかもしれないが、消化器官が拒絶反応を起こすような恐怖があったからだ。
 部屋に戻って、シャワーを浴びて寝ることにした。完全な病人である。

3月7日(月)「嘘のように体調が回復・・・の風さん」
 未明に目が覚めた。体を動かしてみると、五十肩以外は痛くない。それよりも、一番驚いたのは、浴衣がぐっしょりと濡れていたことだった。上半身だけで、ベッドの寝具も、私の上半身に接触する部分が、同様にぐっしょりと濡れていた。暖かくして寝ていたので、大汗をかいたのだ。それで体調が好転したということは、かなりの発熱があったということらしい。
 一昨日、体調の悪さを実感したとき、検温したら熱はまるでなかった。そのことを再びワイフに告げると、「あれはどうも壊れているみたい」と一蹴された。
 濡れたものをとりかえて、再びベッドにもぐり込んだ。
 朝食は最も遅い時刻9時半に指定してあったので、ギリギリまで横になっていることができた。
 体調は信じられないほど戻っていて、空腹まで感じた。
 風邪だったと思うが、インフルエンザでなくて助かった。昨日から風邪薬は飲んでいないのだ。
 朝食の豪華な御粥定食が絶品だった。ほぼ完食できた。
 これまたギリギリの11時にチェックアウトし、急きょ決めた大原の三千院へ行くことにした。
 昨夜雨が降ったらしいが、今日もいちおう薄曇りだ。
 駐車場にアクアをとめて、ゆっくり参拝や見学をし、さらに土産物を物色し、昼食も摂り(わたしはにしん蕎麦)、喫茶店でコーヒーも飲んだ。全身の痛みも頭の重さもぶり返すことはなく、昨日の症状が嘘のようだった。
 この間、そよとも風が吹かず、びっくりするような田舎にある三千院を、ものすごく時間をかけて堪能した。
 午後4時に、長男のアパートへ行き、3人で家路についた。
 大津SAにまた寄って、長男に琵琶湖を見せたら、最近、このあたりのホテルにもバイトで来ているとのことだった。
 そこから伊勢湾岸道の長島PAまで一気に走り、そこで夕食を摂った。
 帰宅したのは午後8時過ぎである。

3月8日(火)「還付金はもらえるか・・・の風さん」
 目覚めてカーテンを開けたら、団地内が霧に包まれていた。まるで雲海に沈みかけているようだった。幻想的な気分になった。
 年寄りと病後のルーチンに従って粛々と行動し、朝食後、京都土産を兄貴のところへ送る荷造りをした。食品の詰め合わせである。きれいに梱包してすぐJPへ直行し、ゆうパックで送った。ワイフがよく利用しているので、割引になった。
 続けて、最後の組長業務引き継ぎをした。作成した清掃当番表と回覧板を渡した。今回の組長業務はほとんど私がやった。これで、役員を2回と組長を2回経験したことになるが、夫婦で半分ずつ担当した。10年後くらいにまた何かの業務が回ってくるが、先は読めない。
 昼食後、長男が確定申告に行っている間に、少しだけ屋外作業をやった。
 私も、いよいよ追い詰められてしまったので、これからは確定申告に専念するしかない。
 私の作家業は相変わらずの非効率さで、経費を引くと赤字なので、還付金が期待できる。ところが、我が家の方は、退社2年目で、ようやく安定飛行になりかけているのだが、今年は、一つの保険を解約したことで、解約返戻金が161万円も発生した。これは一時所得として申告する。こうなると、追加納税になる可能性がある。
 はたして、今年の確定申告で、還付金があるのかないのか、それが最重要事項なのである。私は還付金でキャメロンの修理とタイヤ購入をしたいと思っているのだ。
 午前零時過ぎに、やっと結論が出た。還付金はもらえることが分かった。やれやれ、だ。

3月9日(水)「やっと確定申告を送付・・・の風さん」
 朝から雨。現役時代は天気のことなど(降雪以外)気にしている余裕はなかった。雨が降っていようが、とにかく出社しなければならなかった。天気に左右されることはなかった。
 それが、基本的に自宅にいるようになると、天気が気になる。外出に対する障害度が高まったという感じだ。
 注文した病院用体温計が届いた。入院中の1週間、毎日お世話になった体温計と全く同タイプである。これなら信頼して使用できる。
 確定申告の続きをしていたら、エージェントから電話があり、企画会議の進捗状況を教えられた。順調であり、私自身のモチベーションは大いに高まっている。何とか後世に残る名作にしたいとさえ思っている。
 雨の中、キャメロンを疾駆させて最初のリハビリに出かけた。どの程度、効果が期待できるのか、いくらか楽しみでもあった。
 応対してくれたのは二十歳ぐらいの女の子だった。当然男性の整体師が現れると思っていたので、うろたえた。
 問診があって、続いて、腕などの可動範囲の測定がされ、しきりにメモしている。処方を考え、効果を確認してフィードバックしようということなのだろう。仕事の基本だ。しかし、私の心中は穏やかでなかった。痛いことをされる恐怖ではない。若い子にマッサージされる違和感だった。
 リハビリが始まった。あちこち押したり揉んだりしながら、問題の左肩を中心に腕を回していく。痛くない範囲で徐々に動かしていくのだろうが、私は痛いのを我慢することにした。五十肩など自分で無理やり動かせば治るもんだと思っているからだ。
 こうしてかなり我慢しながらリハビリを受けているうちに(私が痛いと言わないので、彼女も安心して動かしているようだ)、だんだん腕が動くようになってきた。さらには、痛みが快感にさえなってくるのだから、驚くやら違和感やら、頭の中が倒錯してくる(笑)。こんなことを安易に受け入れていたら天罰が下るのは間違いないと思った。
 とはいえ、自分でもできる動かし方を覚えたので、帰ったらガンガンやってみるつもり。
 雨の中、帰りもキャメロンを疾駆させたが、タイヤの摩耗が進んでいるせいだろう、グリップにやや不安があった。
 帰宅したら「ゆっくりしていったら?」と声をかけておいた長男が、もう京都へ向けて出発していた。
 昼食後、確定申告書の仕上げに入り、印刷は簡単だったが、添付資料の貼り付けがひと仕事だった。表裏に貼り付けた別紙が4枚になった。規定以上の切手を貼って、またキャメロンで外出。近所の郵便局のポストに投函し、JAに寄って帰宅した。
 確定申告の書類を投函したことで、大仕事を終えた気分だった。

3月10日(木)「簡単にクリエイティブな生活に戻れない・・・の風さん」
 昨日は確定申告を終え、体調も徐々に戻ってきているので、今日からクリエイティブな生活に戻ろうと朝から気合が入った。
 これまでできなかったルーチンを着実にこなしながら、手応えを感じていた。
 ところが、やや頭脳を使う仕事になると、かえって疲労が増すらしい。夕方になって体を横たえているとき、長女からメールが入った。
 友達と結婚披露宴の余興の打ち合わせに近くまで来ていた長女が、予定通り、うちへ来るという。
 駅まで迎えに行った。
 その余興で使う音楽CDを作っておいたので、確認させると、安全のため、同じ曲を続けて入れておくことになった。
 京都土産を渡したり、楽しいことが続いたが、実は、長女の再就職に関して、大きな問題が起きていた。
 健康診断をしたらC型肝炎の抗体検査で「+」になっていたことだ。歯科医院で働こうとしているので、これは非常にシリアスな問題で、長女の血液に問題がないことを証明する必要があった。
 抗体検査で「+」でも、体内にウィルスがほとんど存在していなければ、医療業務には問題ないのである。
 それを明らかにするための、検査フローがあって、初歩としては定量化である。この数値が1.0未満であれば、その先の検査は不要であり、問題なし。1.0以上の場合、RNA(核酸)検査に進む。これにより、体内ウィルスの存在量の推定がされ、少なければ問題なしとなるが、多いと、就職はできない。最終的に5段階評価される。BからD(抗体検査「−」)が問題なしだ。
 4ヶ月前に長女は、RNA検査までを経験していて、数値は1.5でBだった。
 冷静にこのステップを再度踏めば、就職は可能になるのだが、応募先がもうタイムリミットだと宣言していることと、信じられないことに健康診断をしたクリニックの医師が、抗体検査の結果のみで、長女はC型肝炎にかかっていて治療が必要だと軽率な所見を出してしまったことだ。
 応募先の歯科医院の了解を得て、明日、長女の危険性の疑いを晴らすことになった。
 長女がやって来た時から、私のクリエイティブな生活はストップした。

3月11日(金)「人間(じんかん)万事塞翁が馬・・・の風さん」
 早起きして長女をキャメロンに乗せ、私のよく行く大きな総合病院へ向かった。何事もなければ、今日、私自身が診察(再発したので皮膚科を受診)を受ける予定だった。
 血液検査を受ける長女は、食事を抜いている。
 ここを初めて受診する長女は、健康診断の結果を持参したので「紹介状あり」扱いとなり、順調に対応が進んで行き、9時半過ぎには、早くも医師の診察を受けるところまでたどり着いた。
 専門医いわく「おそらく偽陽性でしょう。こういう人は、抗体検査で+になったり−になったりするものです。また、もし感染したことがあったとしても、発病せずにウィルスはすべて体外に排出されている。そして抗体ができているという状況です。それなら就職には問題はありません」。当然の所見であり、長女も私もホッと胸をなでおろした。そして、血液検査をすることになり「そうは言っても、万が一肝炎になっていたら治療はできますか」という親としての私のコメントに対しても「念のため肝臓を超音波でチェックしましょう。問題ないと思いますよ」となった。
 長女の最大の不安である採血も、看護師が超優秀で、問題なく終わり、超音波検査に進んでいる間に、私の方の受診も進行した。
 しかし、大病院の常で、血液検査の結果は今日出ないことが分かり、長女と、今日中に結果をもらえる病院を探すことになった。
 昼食用にパンを買ったりしたが、採血のある長女は、依然として食事をすることは控えた。私もすべて終わってからと手をつけなかった。
 午後になり、長女がかつて受診したことのある病院に行くことにした。午後の診療をやっているからだ。
 キャメロンに目的地をセットして出発したが、ナビが不安定にならないか一抹の不安があった。
 午後2時前にその病院に着いた。残念なことに、消化器内科は午前だけで、午後は診てくれる先生がいなかった。午前中に来ていたら、と思ったが、血液検査の結果は来週になるとのことだった。長女は落胆にもめげず、近くに対応できる病院がないか看護師に相談した。すると、親切なことに、3ヶ所の病院を紹介してくれた。
 私のテレホンカードを使って、公衆電話から、長女が確認すると、そのうちの1つが「今すぐ来れば、外注委託している血液センターに来てもらって、すぐ検査してあげましょう」との返事だった。
 さすがにRNA検査の結果までは無理だが、定量化まではできるとのことだった。1.0未満の数値が出ることを期待したのである。
 そこへ着いたのは午後2時45分ころだった。
 そこでも、長女の採血は非常に上手にやってもらえ、大特急で血液センターへ運ばれた。早ければ6時半ころ病院へファックスで報告されるという。良い数値が出ていれば、それに応じた診断書を書いてもらえる。
 病院の向かいのファミレスに移動し、ようやく食事を摂ることができた。
 遅いランチである。間を置いて、デザートも頼み、2時間半近く粘った。しかし、こういった客は他にもいて、長々と居座っている。
 病院は若い女性院長だけが残っていた。
 呼ばれて、結果を聞いて、ビックリした。定量化以前に抗体検査が「−」だったからだ。午前中の医師が言った偽陽性である。
 就職のために、こんなに焦って行動していると長女が説明してあったので、これなら全然問題ないですね、という結論になった。
 長女の1日の努力はこうして報われた。
 帰宅したのは8時20分だった。
 9時過ぎに、歯科医院と電話で話した長女は、意外な結論を告げた。歯科医院としては、「どうせNGの結果が出るだろうと、もう次の応募者に連絡してしまったので、採用できない」と答えたというのだ。専門医でもないクリニックの医師の軽率な発言(歯科医院の問い合わせにそう伝えたのだ)と、それを盲信し時間がないという理由で長女を退けた歯科医院の愚かさに、非常に腹が立った。
 しかし、こういう事態になったからこそ、歯科医院の本性を見ることができたのだし、偽陽性ではあるが、実際には体内にウィルスは存在していないということが確認できたのだから、もうけものと思ったらよい、と長女には話した。

3月12日(土)「今度こそ日常に戻るぞ・・・の風さん」
 昨日は終日出歩いていたので、お尻には大変な負担だった。今日はゆっくりと過ごそう。
 実に久しぶりにリンガフォンのテープを聴いた。ユニット51である。これで全体の85%が終わったことになる。
 たまっていた日記も3日分を一気に更新した。
 昨夜遅くまで長電話していた長女は、昼近くに起きて来た。一緒にパンで昼食を摂ったが、いくらか元気も回復しているようだ。
 天気がよかったので、屋外作業も少しだけした。
 クリエイティブな仕事に復帰するため、日本推理作家協会の葉書随想を書いてみた。だいたい近況がテーマなので、長期計画になかった今回の手術のことを書いた。
 就寝前に、気まぐれに、クルマのシガーライターソケットからiPhoneを充電できるアダプターを検索したら、安価な製品がヒットした。早速発注した。明後日届く。便利な世の中だ。

3月13日(日)「猫フェスタ・・・の風さん」
 長女を誘ってイオンモール常滑とセントレアで開催されている「猫フェスタ」(昨日今日と2日間開催)に出かけた。
 猫好きの長女に元気を出してもらうのが最大の目的だ。
 日曜日なのでイオンモールは混んでいた。もともと招き猫がキャラクターになっているテーマパーク風の大型ショッピングセンターである。オープン100日目を記念した「猫フェスタ」だが、よほどの変化がないとフェスタとは言えない。
 先ずは、南北の端っこで展開されている出店を覗いて、面白グッズを物色した。
 それから比較的空いているレストランでランチをし、無料のシャトルバスでセントレアへ向かった。
 イオンモールと空港が共同開催というのが、今回の最大の特徴で、セントレアに着いてみると、それがハッキリした。普段あまり猫の雰囲気はない空港が、イベントで変化していた。関係者の多くが(男も女も)猫耳のカチューシャを頭に乗せているのだ。ディズニーリゾートでミッキーマウスの耳カチューシャと同じアイデアだろう。ただし、猫耳のカチューシャは、アウトラインだけを金属(?)で作ったものである。上品でデザインも良い。
 イオンモールで押してもらったスタンプカードに、セントレアでも押してもらうと、抽選ができた。長女と私と続けて2等が当たった。2等は合計500本なので、かなり幸運と言える。もらったのは、プラスチック製の猫耳カチューシャだった。
 子猫の写真展も見て、再びシャトルバスでイオンモールへ戻った。
 長女に元気を出してもらうために、私自身はかなり体力を消耗した(笑)。
 帰宅して、仕事で行けなかったワイフと猫の話題で盛り上がった。
 明日の天気予報は雨である。この時期、天気がよければよいほど、花粉症になってしまう。ところが、今年はまだ一度も花粉症になっていない。体のあちこちに異常が起きているので、神経がそちらへ向かっていて、花粉に鈍感になっているのかもしれない。それならそれで、今年は何とか花粉症をやり過ごしてしまいたい。

3月14日(月)「2回目のリハビリ・・・の風さん」
 ごろ合わせで、今日は3.14つまり円周率の日である。例年開催される関孝和数学研究所のイベントが今年はない。また、昨年に続いて、同じ日に、日本機械学会生産システム部門研究発表講演会が、今年も開催される。術後の体調を考えて、今年は参加を見送ったが、正解だった。たいした手術ではないと思っていたが、看護師の説明通り、完治には1ヶ月程度かかりそうだ。
 お昼過ぎに2回目のリハビリを予約していた。朝から降っている雨がやんでほしかったが、まるでその気配がなかった。
 ぐずぐずしているうちに出発予定時刻を15分も過ぎてしまい、また山越えルートをジェームズボンド走りで整形外科へ向かった。
 嬉しいことにまた同じPT(理学療法士)だった。どうも専属になるようだ。ますますリハビリを長引かせてはいけないと思った。
 毎日左腕を回す練習をしていたせいか、先週よりも可動範囲が広がっていた。こうなるとさらに動くようにするらしく、指導のバリエーションが増えた。来週の予約をして病院を後にした。
 遠回りになるが、先週末できなかったGSでの給油と灯油の購入をし、JP(郵便局)にも寄って帰宅した。
 遅くなったが、昼食を長女に作ってもらい、書斎で仕事を始めた。
 ところが、なぜか疲労感が重く、夕方からリビングで横になった。リハビリのせいだろうか。だとすれば、贅沢な話だ。
 結局、終日雨が降っていて、気温も低く、イマイチ元気の出ないまま夜になり、早めにシャワーを浴びて就寝した。

3月15日(火)「強風を避けて屋内業務・・・の風さん」
 8時間の睡眠をとった。それでもイマイチ元気が出ないのは、もう棺桶に片足を突っ込んでいるせいかもしれない。開き直ってがむしゃらにやればいいのかもしれない。死ぬ気で。しかし、よく考えてみると、そうやって長いこと生きてきたのだ。
 雨上がりの今日は、予想通り、外は強風が吹きまくっている。
 せっかく発症しない花粉症を、寝た子を起こすようなことはしない方がいいのだし、わざわざ刺激する必要もないので、屋外作業は中止した。
 朝からゆるゆると仕事をすることにした。集中力を欠いたら違う仕事にチェンジする。やることはたくさんあるから、問題ない。
 昨夜から始めた講演録の続きを書いた。毎日少しずつやっていれば、次第にできていくものだ。
 取り組まなければならない児童文学が二つある。それぞれの資料読みをして、モチベーションを上げることにした。
 iPhoneに電話があり、来月の講演がほぼ本決まりになった。年間を通じて続く非常勤講義を除くと、4月から7月、9月から11月まで何らかの講演やセミナー講師の仕事が入った。8月は恒例の全国和算研究大会があるから、予定なしでも十分だ。
 自主的な執筆も始めなければならない。これもテーマはたくさんあるが、私本来のテーマについて、準備を開始するため、久しぶりに資料を引っ張り出して読んでみた。かなり手ごわいテーマである。
 今夜も早めにシャワーを浴びて就寝した。

3月16日(水)「取り組み課題が多過ぎる・・・の風さん」
 6時半起床。入院していた頃の再現だ(笑)。就寝がもっと早ければ、早起きはできる、ということらしい。長年「宵っ張りの朝寝坊」を決め込んでいた私にとって、これは新発見。
 執筆再開へ向けて助走区間に入っているので、どの程度できるか、今日は確認できるよい日だ。
 ルーチンワークをしこしことこなして昼になった。
 長女に焼きそばを作ってもらってランチした後、屋外作業に取り掛かった。昨日の強風はなくなっている。屋外タンクに灯油を給油し、小屋の中の茶箱(大)を予定通り解体し、わずかだけ移植作業(通算14回目)をした。
 執筆のモチベーションを高めるための資料読みに取り掛かった。当面3冊(執筆対象も3つ)が課題なのだが、これは根気のいる作業だ。実は執筆対象はこれ以外にもあり、優先順位から3つを取り上げているに過ぎない。
 また、4月以降の講演やセミナーのための資料作成にも取り掛からねばならない。一夜漬けでできるシロモノではないからだ。
 結局、1日確保しても、すべての課題に取り組めるわけではないことが判明した。ということは、いつまでもやり続けるのでなく、決着をつけながらやらねばならないということだ。先ずは、ルーチンワーク化している講演録を最初に終わらせよう。
 今夜も早めにシャワーを浴びて就寝した。

3月17日(木)「久しぶりの入浴・・・の風さん」
 退院して最初の診察を受けるため、キャメロンで病院へ向かった。
 家を出るのに少しとまどったため、病院にはギリギリに着いた。退院したときはワイフの運転でゆったりと帰宅したのだが、自分で運転してやって来たことに日にちの経過を感じた。しかし、まだ完治したという感じではなかった。
 主治医の診察による説明は意外だった。私が気にしている外部の状況については、全く問題なく順調で、一番重要なのは内部とのことだった。硬化療法と切除そして糸で縛るという3つの方法を組み合わせていて、たとえばここが狭い形で固まってしまうと問題なのだという。私の場合、硬化療法を施したところが少し硬いかな、とコメントしていた。また、軟膏も外部よりも内部にしっかり塗布してほしいとのことだった。
 やはり素人判断はよくないのであって、主治医の説明を聞いて、状況がよく分かるとともに、全体としては順調だということが理解できた。入浴もアルコールも全く問題ないとのことだった。正直、ホッとした。
 薬の処方もしてもらい、次回(1ヶ月後)の診察の約束もした。それで最終決着するだろう。
 帰りのルートを変更し、薬局やGSに寄って帰宅した。
 長女に昼食を作ってもらったが、その後、長女は名古屋へ帰って行った。再就職へのつなぎとしてバイトを考え始めたらしい。
 1日あってもすべての取り組み課題に手を付けることはできない。それは昨日で、十分認識した。
 残りの時間が少ないので、あれこれとすべてはできないが、できる限りやることにし、先ず難題の講演録に取り組んだ。
 夜、24日ぶりに湯船に浸かった。極楽極楽……。

3月18日(金)「平穏無事な日はなかなか来ない・・・の風さん」
 午後から天気が崩れそうだったので、午前中に屋外作業をした。
 かねて準備していた、裏の小屋の中の茶箱(金属部分を解体済み)2つと灯油のポリタンク2つ等をアクアに積んで、クリーンセンターへ持って行った。茶箱は解体してあると説明したら「ありがとう」と言われた。分別廃棄もだんだん慣れてきた。
 帰宅して休む間もなく、ワイフを乗せて再出発。月例の墓参である。定年退職するまではワイフに任せっきりだったので、これも当たり前の行事化してきた。幸い上天気の下で完了できたので、気分も上々。
 ところで、ワイフが庭のログキャビンで使用しているCDプレイヤーが、また壊れたという。実は、1年前にも異常があり、なぜかCDを傷つけるようになった。まだ保証期間内だったが、安価な製品だったので、修理依頼はせず、また同じ製品を購入するという経緯があった。その1年前に購入した製品が、今度は、演奏中にエラーで止まってしまうという状態になった。
 そのCDプレイヤーは、最近、中国企業に白物家電事業を売却すると報道されているT社製である。
 T社の問題は、経営トップが欧米流のマネジメントを導入し、威圧的に成果だけを要求した結果、嘘の報告が社内だけでなく世の中に対してもおこなわれていたことから始まっている。日本人とは思えない、呆れた話だと思ったが、それにより多くの従業員がリストラされる事態にもなっている。これは気の毒としか言いようがない。
 そのT社が、今度は白物家電事業を、こともあろうに中国企業に売却しようとしている。私に言わせると国賊としか言いようがない。
 近年、中国からの観光者による爆買い効果で、国内の多くの販売店は潤っている。中国人に対するおもてなし強化はもちろんのこと、売り場面積の拡大まで計画されている。しかし、この爆買いの中に、中国企業が真似できない家電品が入っていることは周知の事実のはずだ。代表は炊飯器である。美味しいご飯が炊ける日本の炊飯器は、中国観光客の狙い商品の一つで、一人で何台も購入して帰るそうだ。
 T社が売却しようとしている白物家電事業の製品の中に、炊飯器がある。ソフトの技術を売るだけでは容易に量産化できないが、事業をそっくり売却するということは、ソフトだけでなくハード(製造拠点)も渡してしまうのである。中国にある製造拠点はそのまま中国企業の製造拠点となって、ほとんどを中国国内に供給するようになるだろう。
 日本での有力な爆買い製品の一つが消滅する。これまで恩恵をこうむっていたT社以外の家電メーカーも一気に迷惑を受けることになる。だから私に言わせると国賊となるのである。
 どのような対応になるのか分からないが、壊れたCDプレイヤーは修理に出してみようと思う。

3月19日(土)「思いを新たにケース発表会・・・の風さん」
 朝から激しい雨だった。書斎の窓から裏の土地を眺めると、雑草の生えていない部分は池になっていた。水はけも悪い土地なのだ。
 今日はNUCB(名古屋商科大学大学院)でケース発表会があるので行きたいのだが、何時に家を出られるかちょっと心配になった。
 すると、9時を過ぎるころから一気に天候が好転した。青空まで出てきた。
 JDPAの仕事で在宅のワイフに駅まで送ってもらい、予定より早く名古屋の新学舎丸の内タワーに着いた。
 ケース発表会はもちろん卒業生主体の情報共有の場だが、参加するたびに知らない世界の話が聴けて非常に勉強になる。
 午前中に3つの発表を聴くことができた。
 かつて伏見キャンパスに通っていた頃の仲間がたくさん来ていたので、3階のカフェテリアで昼食を摂りながら近況を語り合った。
 私が、今日の午後開催される次世代エグゼクティブ・フロンティア・セミナー「世界の金融危機に見る攻めのクライシス・マネジメント」を聴講する予定だと話したら、予定していなかった彼らもその場で聴講を決めた。
 午後、会社の元部下のを含めて3つの発表を聴いた後、セミナー会場へ移動した。
 2時間たっぷりのセミナーの割には、強烈な話が少なく、印象が薄かった。ただし、2週間前に中国を訪問して見聞した話は、臨場感があって勉強になった。しかし、中国については、本当のことがよく分からない国というレベルからあまり前進しない。
 再びケース発表会に戻り、4つの発表と飛び込みのプレゼンも聴いて(ここでもデンソーの後輩の発表があり、非常に感銘を受けた)、6時半から懇親会に移動した。
 懇親会も盛況だったが、発表会場で見た以上に多くの伏見キャンパス時代の仲間と遭遇し、今から2年前のことだが、充実した学びの時間だったことは共通だったのだ、とあらためて思った。私もあのときの学びを生かそうと今でも奮闘しているわけだが、まだまだ努力は足りない。とは言え、今は先ず、体調を戻し、さらに頑健にしなければならないと思う。
 歓談が続いている会場を9時に失礼し、家路についた。

3月20日(日)「老いとの戦いを実感・・・の風さん」
 この時期、雨上がりの翌日は、強風が吹くことが多い。朝から唸るような音を立てて風が吹いている。今日は屋外作業は中止にしよう。
 Amazonから宅配が2つ午前中に届いた。どちらも日時指定したものである。
 一つは古本で、昔必要があってチェックした記憶があったが、今度はその重要度が増したので、古本を発注した。
 届く前に「もしかして……」と思って書棚をチェックしたら、昔図書館で借りた時に、全ページコピーしてファイルしてあった(笑)。
 これだけならショックは小さかったかもしれないが、まだあった! 先日、知人から「昔出した本が電子書籍化されたので、よかったら購入してください」という連絡があり、お祝いも兼ねて注文し、しっかりダウンロードも完了していた。その、昔出した本、というのが、書棚にあった! そのときもお祝いを兼ねて購入したのだろう。
 こうなると、金銭的な問題ではなくなる。それより、自らの老いとの戦いをまた実感することで、ひどく落ち込む。
 とは言え、その本は、大河ドラマ関連本なので、どちらも売れているに違いない。よいことだ。
 ルーチンをしっかりやるため、リンガフォンを聴いた。ユニット52である。
 昼前に、地元の図書館へ行ってきた。相互貸借の申請と、19冊の寄贈と、文章サークル再開のための助走の相談が目的だった。
 昼食後、講演録の続きに取り掛かったが、どうしても挿入する図が気になって仕方なかった。入れたいのだが、講演で使用した図はそのままでは使えない。結局、ウェブサイトからデータを入手して、Excelでグラフを自作した。原油埋蔵量とマネタリー(資金供給量)のグラフである。
 お尻の回復は順調だが、五十肩の具合はあまりよくない。今日はトクホンチールを塗って、磁気ネックレスをしてみた。幸い花粉症はまだ発症しない(このままいってほしい)。
 夜になり、時間がなくなってきたが、大急ぎで読みかけの資料の続きを少しずつ読んだ。

3月21日(月)「久々の屋外作業・・・の風さん」
 朝から快晴である。風も昨日より弱まった。
 午前中に軽いルーチンワークを片付けた。
 昼食後、久々の屋外作業。裏の小屋に次女の荷物を入れるためのスペース作りが続いているが、今日はスーツケース3つを屋内に戻し、特殊物入れに上げた。元々そこにあったので、移動しただけで、モノづくりの観点から言えば、無駄な作業をしたことになる(笑)。
 小屋からはできればあと1個茶箱を片付けたかったが、ちょっと間に合わないかもしれない。水曜日に次女の荷物を大学から運んで来るので、そのときの状況を見て最終判断しよう。
 センサーライトのタイマー調整をした後、雑草の移植作業の15回目を実施した。土地の周囲では部分的に雑草が伸び始めた。クルマを置かない部分の雑草は積極的に処理して荒地の上に移動させる。
 この後、作家業に取り組み始めるのだが、なぜか集中しない。モチベーションが高まらない。ドーパミンが不足している。疲労が出たのだろう、と判断して、少し昼寝した。
 いくらか元気になったので起き出して、コーヒータイムにし、ドーパミンを出すためにチョコレートを2個食べた。
 夕食前は読書。夕食後は講演録の続きをやった。
 明日のために早寝した。

3月22日(火)「児童文学の企画が合格・・・の風さん」
 昨日よりさらに上天気。風もほとんどない。
 懸案事項の国民健康保険加入の件に関する疑問を解決するため、町役場へ行った。希望通りのことを実行しようとすると、もう一つステップが必要なことが分かった。
 ホームセンターに寄って、裏の土地に人が出入りするための階段にする石のステップを購入した。
 その後、3回目のリハビリに行った。自宅でも積極的に左肩を回しているのだが、一気に治らないのが悔しい。しかし、リハビリを続けていると、そのうち癖になってしまうのではないかと怖い。
 帰宅し、国民健康保険加入の件でワイフと相談し、文芸美術国民健康保険との費用比較もした上で、方針を確定させた。
 午前中はこれだけの用事で終わってしまったが、体力不足のため、午後はまた体を休める必要があった。
 結局、ルーチンのような仕事をこなして、今日も1日が終わってしまった。
 そのような中でも、先行している児童文学案件が、正式に企画会議をパスしたという連絡があった。頑張らねばならない。

3月23日(水)「どうもやることが多過ぎる・・・の風さん」
 リサイクル品の無料回収がときどきあるが、今朝がその日で、鉄製品をまとめて門の前に出した。こうやって少しずつゴミが減っていく。気の長い話だが、私らしいと言えば言える。
 朝食後、役場に直行した。昨日の続きで国民健康保険加入に関する追加質問である。結局、長男を世帯分離することにした。
 帰宅し、次女を駅まで送った後、長男宛ての郵便物と作成した異動届(世帯分離のため)を持って再出発。
 JPへ行き投函し、続いて役場へ行った。
 役場では何人かの人から挨拶された。どこかで見た顔だが思い出せない。現役時代に本社でよく起きた出来事だ。申し訳ない気持ちになる。
 帰宅し、昼食後、疲れて横になった。
 3時少し前に次女から「4時に来て」とメールがあった。大学での荷造りがまもなく終了するのだ。大学は小牧市にあって遠いので、有料道路と高速を利用することになる。もちろんワイフのアクアでないと荷物が積めない。
 それでも着いたのは4時半近かった。
 来た道を戻って、帰宅したのは午後6時。裏の小屋に少し入れ、あとは次女任せだが、いつ終わるか分からないな、きっと。
 夕食に缶ビールをワイフと半分ずつ飲んだ(次女は1個)。それだけで酔っ払ってしまい、また横になった。
 結局、就寝前に少し読書しただけで終わってしまった。
 明日は長女の病院行きに付き添う予定だったが、一人で行ってもらうことにした。

3月24日(木)「講演録に注力・・・の風さん」
 先月の手術からほぼ1ヶ月である。うるう年とはいえ、2月は29日しかなかったので、実質、今日でほぼ1ヶ月となろう。看護師が予告した通り、ほぼ完治には1ヶ月かかるとのことだったが、確かにそうだ。お尻の違和感が完全になくなるまで、あとしばらくかかりそうだが、全く心配ない。
 とは言え、お尻のことと五十肩のせいで、脳みその関心がそちらへ集中しているためだろう、花粉症はまだ発症しない。連日、花粉予想は「非常に多い」となっているが、ありがたいことだ。油断せず、このまま乗り切ってしまおう。
 今日は長女に同行しないことにしたので、半日の時間が確保できた。自分の仕事に使おう。
 作家仕事以外のルーチンは午前中でほぼ終えた。
 昼食後、屋外作業に取り掛かった。長女に同行していたら、これもできなかったと思う。
 通算16回目の雑草移植の後、土地から道路へつながる小道に、コンクリートの合成板「御影石」でステップを作る作業に、初めて取り掛かった。今日は一番下のステップ1段だけだ。購入した「御影石」は全部で4枚あるが、足りないかもしれない。
 例によって疲れてしまったので、しばらく体を横たえた。トレーニングをいつ再開するか、そろそろ考えねば。
 5月のセミナーを栃木県でおこなうので、事務局が勧める場所のホテルを連泊で予約した。東京のホテルはけっこう一杯だし、料金も上昇しているが、ここは安価で楽に予約できた。
 昨年の埼玉県での講演と場所は比較的近い。キャメロンで行くつもりだ。できれば、その後、福島県まで足を伸ばしたい。
 夕方から、講演録の続きに取り掛かった。ゴールが見えてきたので、今日はしぶとく継続した。
 結局、就寝時刻までには完成しなかったが、あと一歩のところまで到達した。
 講演録に注力したので、資料読みができなかった。就寝も遅くなってしまった。

3月25日(金)「次女の版画を2階に展示・・・の風さん」
 早起きできなかった。せっかく病院でまともな生活リズムを体験できたのに、再現できないとは情けない。
 朝から風が強い。昨日より弱まるかと思ったが、かえって強まった感じもある。
 屋外作業は花粉症発症の危険があるので、中止することにし、その代わり、次女の版画の梱包を解いて、2階の踊り場の壁に飾ることにした。これは2年前の卒業制作で、私が想像するに、大学院進学を決めた(先生の後押しを促した)力作である。
 しかし、なぜかそれ以来梱包を解くことなく、今回、裏の小屋に保管するなどと言い出したため、反対して飾ることにしたのだ。
 先ず、徹底した梱包の驚いた。ダンボールを解体すると、中からプチプチでくるまれた箱が出てきた。慎重にプチプチを解いて、箱からさらに中身を引き出した。これも額をプチプチで完璧なまでにくるんだものだった。
 これだけしっかりした梱包なら、もしかすると裏の小屋でも保存はできたかもしれない。しかし、それでは作品が可哀そうだ。
 壁にかけるのには一苦労だった。ボルトをねじ込む位置を探して、電動ドリルで下穴を開けた。良い場所が見つからず、3ヶ所目の位置にした。その前に、以前から飾ってあった絵を、スペースとバランスのためずらす作業をしていたが、額を持ち上げて壁にかけたり外したりするのは、五十肩にはつらい作業だった。
 こうして、壁に大きな絵が2枚かけられたのだが、ちょっと壮観な眺めになった。床の乱雑ぶりが気になった。おいおい何とかしよう。
 夕方から昨日できなかった資料読みをし、それから講演録の続きに取り掛かった。午前零時までかかってほぼ完成した。

3月26日(土)「終日雑多なことを処理・・・の風さん」
 今日も早起きできなかった。
 午前中にルーチン作業を頑張った。資料読み以外はだいたい終了した。昨夜ほぼ完成した講演録を推敲し、事務局へ送付した。これが今日の最大の成果だろう。
 正午にインスタントラーメンで昼食にして、キャメロンで出かけた。風もあまりなく天気は好いが、屋外作業は断念。
 カリチューへ行き、キャメロンの点検・整備について相談した。とうとうポテンザを更新する。他にも修理や改造案件があったので、先にすべてを説明し、カリチューの準備ができたら一気にやりたいと説明した。あとは連絡待ち。
 土曜日ということもあるのだろう。カリチューは来店が多く、繁盛しているように見えた。賃金の上昇が期待されるようになると、購買意欲もかきたてられるわけだから、現代はデフレ状態は避けなければならない。
 それから予約してある床屋へ行った(2ヶ月ぶり)。こちらも来店が間をおかずにある。
 今日はキャメロンの移動だけで3時間くらいあった。電圧モニターをときどきチェックした。変動はあるが、異常は起きていない。もう17万7千キロをこえている中古車なので、こういった気配りは重要だとあらためて思う。
 夕食後はもう疲れているので、気になっていた雑務をこなした後、資料読みを少しだけやって、午前零時にベッドに向かった。

3月27日(日)「今日も多くのアイテムを処理・・・の風さん」
 睡眠は十分。昨日に続いて、とにかく多くのアイテムをこなそうと1日が始まった。
 朝食に続いてリンガフォンのユニット53を聴いた。
 午前中は、いつもやれているルーチンをひたすらこなした。
 毎月のように送られてくる雑誌なども、読めないまま積読(つんどく)状態になっているものが多いが、今日からまた新しい1冊を取り上げた。中産連の『プログレス』昨年の8月号。知りたかった情報が、すばらしい原稿で記事になっていた。これを読んでから、スキャナーでPDF化して保存した。最終的に雑誌は破棄せざるを得ないので、データ化は重要だ。
 昼食後、屋外作業に出た。雑草の移植、17回目。移植してもほとんど枯れてしまうので、今後が不安ではある。最後は芝生を張るしかないかも。しかし、それはコストがかかるのでやりたくない。そして、ステップ設置の2回目を完了。
 休憩後、来月と再来月の講演準備に着手した。来月の講演の準備は急がねばならない。再来月の講演(セミナー講師)はけっこうボリュームがあるので、これから毎日のように少しずつ取り組む。ちりも積もれば作戦だ。サラミスライス戦略とは言わないでほしい。
 夕方から資料読みに入った。
 夕食後は、初めてのことにも取り掛かった。名商大の大中先生の新刊を読み始めたのだ。英語の本なので、辞書を頼りに読み進む。読後は書評を書かねばならないので、真剣に読む。特殊な単語もあってけっこう大変。
 続けて、最優先執筆テーマの資料の整理に取り掛かったが、これが終了しないうちに閉店時刻がやってきた(笑)。
 結局、今日は、多くのアイテムに少しずつでも手を付けたので満足。しかし、アイテムの多さに、これじゃ一気にできないよね、ということも実感した。
 就寝前、ベッドで読みかけの本2冊を読み進んだのはいつも通りだ。

3月28日(月)「やはり体力不足・・・の風さん」
 今日も上天気。終日、自分の仕事に専念できそうだ。
 午前中にルーチンワークをこなし、昼食後、屋外作業に出た。昨日の今日なので、昨日移植した雑草はまだ枯れていない。そこをさらに厚くするように雑草を移植していった。18回目だ。
 続けて、ステップ設置の3回目。御影石のブロックは4枚購入してあるので、少なくとも4段は作るつもりだが、どうも段差が大きすぎる感じだ。しかし、完璧を追求する場合ではないので、ここはとりあえず4段作って、最上段と最下段は手を加えないことにする。とにかくあと1回の作業が必要だが、今週中には終えたい。
 小一時間の屋外作業で、体力を温存したつもりだったが、意外と疲労感が残った。そこで、止むを得ず、横になって体を休めた。
 その後はあまりペースが上がらなかった。
 来月の講演については、元資料の再編集を試みた。大幅にスライド枚数を減らす作業だ。少ないスライドでも話すことはたくさんあるから、この方向でいいはずだ。
 最優先執筆テーマの資料の整理は、実は、自分で作った算額の問題の解答をしっかり書き残す作業だった。昨日途中までしかできなかったので、今日でやっと完成した。
 大中先生の英語の本は、少しだけ進んだ。このペースではちょっとやばい。でも、やらないよりはやった方がいい。
 就寝の目標時刻は午前零時だが、今日も午前1時になってしまった。

3月29日(火)「陶芸鑑賞同窓会・・・の風さん」
 今日も上天気。キャメロンで外出した。
 総合病院へ行った。11日の続き。期待の内服薬をもらうつもりだったが、なんと血液検査でNG。肝機能の数値がのきなみ悪い。思わず信じられないと言ってしまった。昔からこの数値に異常はなかった。一昨年と昨年の健康診断でも問題なし。先月の手術前の検査でも何も異常はなかった。すぐに内科へ回るだけの時間的余裕がなかったので、地元のかかりつけの病院へ行くことにした。
 昼食後、売店で手作りパンを購入してから、かつての勤務先へ。ちょくちょく行っているので、退社した実感はあまりない。でも、業者が入れるところまでで、パンフレットをもらって帰った。講演やセミナーで会社のPRをしているので、パンフレットも少しずつ置いてくることにしている。我ながら涙ぐましい努力だ。
 それから市の美術館へ向かった。もう10年以上鑑賞を続けている三河陶芸展が今日から開催だ。会社の元同僚がそこの中心人物の一人である。毎回来て驚くのは、ずらりと並んだ作品の平均値の高さとバリエーションである。実にバラエティに富んだ作品群で、それぞれが独創性と実力の高さを見せつけている。形、色、組合せ、すべてに趣向を凝らしている。展示までにかけている努力というか精進に頭が下がる思いだ。
 私だけでなく元同僚を訪ねて鑑賞にやってくるのは、やはり元同僚が多く、私のことまで噂で聞いているようで嬉しかった。やはり昔の勤務先は素晴らしい仕事場だったのだ。その伝統が現役世代にも受け継がれていることを期待する。
 今日は別行動のワイフと友人も少し遅れて到着したが、二人とも、やはり同じ職場だったのだ。友人の旦那の話も出て面白かった。ちょっとした同窓会だが、堂々と語り合えるのが素晴らしい。
 私は先に一人で帰った。血液検査の結果が悪かったというショックもあって、一時間ほど横になっているうちにワイフも帰宅した。
 今夜はあまり多くの仕事ができなかった。

3月30日(水)「なかなか仕事が減らない・・・の風さん」
 1週間に1度のリハビリを予約してある日だったので、あとで内科も受診することにした。
 じれったい気はするが、また少し可動範囲が広がった気はする。それでも元通りではないので、理学療法士があちこち押したり揉んだりしてから、腕をさらに伸ばす。このコツを私もつかんで自宅で励行すれば、さらに前進するのだろう。ただ、背中を押すことは自分ではちょっとやりずらい。
 内科へ移動し、ついでに自宅の血圧計のチェックをした。看護師が測定した値よりも、手首式、上腕式どちらもとんでもなく高い値が出た。このエビデンスは今後、医師との問答で使える。
 ま、そんなことより、問題は血液検査の結果、肝機能の数値である。過去のデータを示し、不審だと告げたら、一時的にウィルスの影響でこういった数値が出ることはある、とのことで、とにかくここでも血液検査をすることになり、採血された。
 JPで封筒を一つ投函してから帰宅した。
 疲れたので、少し横になった。もちろん屋外作業は中止。
 京都の長男から書類が届いたので、予定通り明日、国民健康保険加入手続きができる。
 自分の仕事もだんだん追い込まれてきたので、今日は優先順位の高い仕事に取り組むことにした。
 とは言っても、複数あるので、すべて少しずつやることに……。

3月31日(木)「相変わらず1日もたない・・・の風さん」
 昨日に続いて内科へ直行。血液検査の結果は、3項目のうち2項目が以前のような全く正常な数値で、1項目は大幅に改善されたが基準値を少し上回っていた。一時的なものだろう(前回の採血の5日前に、私は京都で高熱を出していた)、ということで今日は終わったが、半月後くらいにまた検査してもらおうと思った。
 帰りに役場に寄った。いよいよ国民健康保険加入手続きである。3回目の訪問だったので、担当者が私を見るなり、すぐに対応を始めてくれた。ありがたいことだが、ちょっと申し訳ないような。
 長男の分も委任状を出して、同時に終了した。
 ついでに税務課へ移動して、知人に来月拙宅で開く文章サークル茶話会にちょっとだけでも寄ってください、とお誘いした。
 帰宅して、長男へ保険証を送るのと合わせて4通の郵便物を用意し、すぐにJPへ直行。投函した。
 思い付いて、今年度最後の灯油を屋外タンクに給油した。
 疲れたので、しばらく横になったが、昼食後も元気が出ず、再び横になった。
 上天気だったのが、だんだん日が陰って来た。気分も低下。五十肩がやけに痛むので、ロキソニンを服用。
 ワイフが長女と一緒に帰宅し、夕食を食べてからようやく元気が出てきた。
 来月の某企業向け講演の準備を一気に片付けた。明日、資料一式を事務局へ郵送し、メールすれば準備は一段落となる。

2016年4月はここ

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